当ページでは、天理教薩隅分教会の歴代の会長や沿革についてご紹介させていただきます。
薩隅分教会の現会長である浅田治雄は4代目になります。
初代会長時代
太平洋戦争も終わりに近づき、沖縄を占領した米空軍は連日の如く鹿児島市を空襲、鹿児島市の家屋の割が消失、鹿児島市下竜尾町番地の九薩分教会内に所在した鹿児島教務支庁も焼失した。
終戦後、教区役員と管内教会長との間に教務支庁建築の議が起こり、鹿児島市新屋敷町4番地の1の借地140坪(462㎡)に教務支庁として教堂を建築し竣工した。
そして教務支庁教会として、昭和27年(1952)1月29日、薩隅分教会設立のお許しを頂き、初代会長中村才次郎が就任、同年3月7日、2代真柱のお入込みを頂き、鎮座祭、翌8日に会長就任奉告祭を執行した。
昭和35年12月19日、類焼に遭ったため、薩隅分教会建物は全焼したが、幸いにも「お目標」は難を免れ、一時鹿児島市加治屋町37番地鹿児島分教会に仮遷座した。
初代会長中村才次郎は昭和37年2月26日辞職を申し出た。
2代会長時代
昭和37年3月26日2代会長に浅田宗一が就任した。
会長は、同年4月4日、世話人土佐元により鹿児島分教会に仮遷座申し上げてあった「お目標」を、鹿児島市鴨池町693番地へ移し、遷座祭を執行した。
そして、昭和39年11月15日、鹿児島市伊敷町6702番地の3にある宗教法人天理教所有の宅地300坪5勺(993㎡)を薩隅分教会へ無償にて貸与することを承認された。
昭和40年5月26日、移転建築及び臨時祭典のお許しを頂き、同年7月8日より建築に着工、同年9月15日、木造セメント瓦葺平家建神殿兼教職舎が竣工した。
同年11月6日、2代真柱、中山善衛たすけ委員長を始め随行に東井三代次・中山正信両本部員、土佐元本部准員その他多数の参拝者を迎え、鎮座祭を、翌7日移転建築奉告及び会長就任奉告祭を執行した。
昭和51年1月26日会長が本部員に登用され、また昭和52年6月26日鹿児島教区長に就任した。
昭和57年6月頃から道路公団により九州縦貫自動車道設置に伴う移転の要請があり、役員信者相談の結果、その要請を受諾することに全員一致した。
昭和59年5月5日移転建築願提出。同年5月7日鹿児島市小野町303番地の1にある宗教法人天理教の所有地191坪(631㎡)を、当分教会へ無償にて貸与された。
同年5月26日移転建築のお許しを頂き。同年6月3日建築に着工し、同年11月20日木造瓦葺2階建神殿及教職舎の竣工を見た。
同年12月7日梶本満造世話人により「お目標」を鹿児島市伊敷町6702番地の3より同市小野町303番地の1へ仮遷座、翌8日真柱により親しく御鎮座の儀(併せて2代真柱の霊を御鎮座)が、執り行われた。
同月9日真柱夫妻、中山善司青年会長臨席のもと、中山正信、梶本満造夫妻、梶本國彦随行員を迎え神殿移転建築落成奉告祭を執行した。
※天理教辞典から抜粋
現3代会長時代
制作中
薩隅分教会史
年号 | 月日 | 事 項 |
---|---|---|
明治19年 | 11/19 | 中村才次郎(初代会長)、鹿児島県鹿児島郡谷山村大字松崎79番戸に出生 |
昭和26年 | 3/25 | 中村才次郎、鹿児島教区長就任 |
昭和27年 | 1/29 | 中村才次郎、薩隅分教会初代会長就任 |
昭和37年 | 2/26 | 中村才次郎、薩隅分教会長辞任 |
3/26 | 浅田宗一(50歳)、薩隅分教会2代会長就任 | |
昭和39年 | 4/18 | 浅田宗一、本部准員に登用 |
8/28 | 浅田宗一、別席取次人に登用 | |
昭和40年 | 7/7 | 浅田宗一、鹿児島教区主事就任 |
7/8 | 教会移転建築。平家建神殿兼教職舎33坪62(111㎡) | |
昭和43年 | 4/10 | 初代会長中村才次郎出直し(83歳) |
昭和51年 | 1/26 | 浅田宗一、本部員に登用 |
昭和52年 | 6/26 | 浅田宗一、鹿児島教区長に就任 |
昭和59年 | 5/7 | 宗教法人天理教より鹿児島市小野町にある宗教法人天理教の所有地を無償貸与される |
5/26 | 移転建築のお許しを頂く | |
11/20 | 木造瓦葺2階建神殿及教職舎竣工(1階298.93㎡、2階99.88㎡) | |
平成7年 | 3/14 | 浅田治雄、薩隅分教会3代会長就任 |
平成12年 | 5/3 | 薩隅分教会2代会長浅田宗一出直し(88歳) |
以下、制作中 |
薩隅分教会長(浅田家)家系図
浅田家の天理教信仰の歴史は梶本家から始まる。
浅田家は、奈良県天理市櫟本町で鍛冶屋業を営む梶本家に仕えていましたが、梶本家が天理教に入信するにあたり、鍛冶屋を浅田家が引き継ぐことになりました。
その後、梶本家からのお誘いで浅田家は三島町に引っ越し、天理教に入信。
梶本惣治郎先生の弟宗一郎が浅田家の養子となり、その子徳次郎が浅田家の初代となります。